大きな目的と内なるエネルギー

人生の目的を持つことは難しい。

人生の終着点が無であることを疑っていないためである。

何かの目的を持てば、その目的の目的を問い、漸化式的に死へとつながり、無に帰す。

それは、目的を他者に預けても同様である。

その他者もいずれ死に、世界はただ自然の法則のまま動いていくのだから、そこに意味を見出すことはできない。

外部に目的を見出すことができなければ、内から生まれるエネルギーで動くしかない。

それは、欲である。

しかし、欲にのみ動かされているのはあまりに動物的である。

これを受け付けない自分もまた存在する。

羞恥心、嫉妬心、人間が社会性獲得の過程で手に入れてきた特有の欲は、自分を動物的でなくする。

しかし、それは他の動物に類似しないという意味に過ぎず、結局は動物と同じ構造を持っている点で、動物的である。

動物的に生きることを受け入れた場合、やはりそのエネルギーは途絶えてしまう。

ただ、だらだら生きることが正解となってしまうのだ。

内なるエネルギーを利用しようと思っても、その利用することの目的を問う必要が生まれる。

また、無へとつながる道が始まるのだ。

やはり、人生に意味などないということを受け入れなければならない。

しかし、やっかいなのは、それを受け入れたうえで、生きる道を自分で選ぶ必要があるところである。

そして、その幅は非常に広く、選択によって様々な可能性がありうるのである。

考える段階は終わった。悩むことは無駄だ。

あとは、決めるだけである。