人生の意味について

意味は、人が解釈することで初めて存在する。

人が持つある目的に対して、その事象が寄与するとき、人はその事象に意味があると解釈する。

ここでいう目的は、事前に明示的に決定されている必要はない。目的として形成可能であればよい。

目的とは、人が想定することができる到達地点のことである。自身のことでも、他者に関わることであっても、何か到達する地点を想定し、目的とする。

 

人生が意味を持つには、その人生が寄与する目的が必要である。ただし、一人の一生の目的は、その人生の中に置くことができない。そのため、人生の目的は必然的に個を超えた外部に存在する必要がある。しかし、個人を尊重し、集団としての目的を設定しないことを美徳とする社会では、一人の個の外に目的を置くことが難しい。

 

人生の意味には、人生の目的が必要であり、その目的は自分の外にある必要がある。

 

しかし、人生の意味が個の外につながるように、集団の目的もまたその集団の外につながっていくことは必然である。よって、人生のうちにある小さな意味たちもまた、外部に繋がっていく。こうした、漸化式的なつながりの行きつく果ては、人類を超えて、宇宙を超えて、この世界自体やその外につながっていく。そのため、すべての目的の行きつく先である究極の目的というものを想像することはできない。そして、想定できない目的を逆にたどるとまた、すべての目的も、その目的の妥当性自体が疑われてしまう。

 

目的が存在しなくなれば、意味も存在しなくなる。